東日本大震災10年経過に思う

小生は、長大橋プロジェクトが日本で終焉してからは、海洋土木と防災事業を担当していた。
京大防災研究所の河田恵昭教授(当時)が東海・東南海・南海津波研究会を立ちあげ、Xディを
2038年とし日本を襲う大地震&津波に備えようという研究会を1990年初期に立ち上げ上げたので、
参加していた。1995年に予想外の阪神・淡路大震災が起こり、この研究会の意義が大きくなった。
河田先生は重工業が防災機器を生産すべきと考え、日立造船に促した。筆者は、防災事業を展開すべき
戦略を日立造船技報に2003年に掲載した。小生のパソコンに保存した最終稿を参考にしてほしい。
防災事業は当時頻発した集中豪雨による水害防止の防水装置、水門の自動閉鎖装置、フラップゲート、
GPS津波計などで構成される。当時のGPS津波計のパンフレットを紹介しよう。
GPS津波計の試作装置が大船渡に設置され大船渡市民は良く知っていた。東日本大津波の来襲時、
津波計が7メートル上がっているとの情報で多くの市民が即座に避難して助かったとNHKが放送した。
小生は、韓国でNHK放送を聞き、GPS防災事業をやっておいて良かったと感激した。
現在、東北をみると、関西を襲うであろう東南海・南海津波への備えを急ぐ必要があると心から思っている。

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